ひなは考えた

唐突ですが、ここで昔話を1つ。

『サンマと殿様』

むかしむかしあるところに、大変アクティブな殿様がいました。
殿様は、時々お城をこっそり抜け出しては城下町で遊びまくっていました。
気分は遠山の金さんです。
ある日のことです。
ひょんな事から殿様はサンマを口にしました。
「何だ、この魚は!メチャクチャ美味いじゃないか!」
「やだな〜、お客さん。ただのサンマじゃないっすか〜」
「ほぉ、サンマ…」
その日から、殿様はサンマに心を奪われてしまいました。
寝ても覚めても頭の中はサンマで一杯。
殿様はサンマジャンキーになってしまいました。
「何とかしていま一度、サンマを食してみたいものじゃ」
いてもたってもいられなくなった殿様は、家老にこう言いました。
「サンマが食いたい」
「…は?サンマ?」
「そう。サンマ。今すぐ食いたい」(キッパリ)
家老を筆頭に、城の中は大騒ぎです。
殿様に何かあったら大変だとばかりに、料理人はサンマの加工を始めました。
皮を剥き、小骨をとり、キッチリ焼いて脂を抜き、「超健康的で安全な食べ物」を作りました。
毒が入っていたら大変だと、何人もの家来が毒見をし、やっとの事でサンマが殿様の前に出されました。
殿様はうれしくてたまりません。
食事前の手洗いも忘れて、サンマにかぶりつきました。

「…アレ?」
何だか様子が違います。
「…これが、サンマか?」
「はっ!今しがた魚河岸から上げたばかりのとれたてのサンマにございます」
「ふぅ〜む…」
殿様は腕を組んで考えました。
城下町で食べたサンマとは似ても似つかないアヤシイ味がしたからです。
そうです。
おおざっぱな調理をほどこした城下町のサンマと比べれば、加工しまくられたお城のネオ・サンマは味が違って当然です。

「もう、いいや。いらない。マズイし」
殿様はすっかり意気消沈してしまいましたとさ。


という話を知っていますか?
これと似たような状況が日本社会で起きようとしています。
「青少年有害社会環境対策基本法案」←コレ

ひなはあちこちリンクを辿り、この法案の内容を知れば知るほど、モヤモヤした気持ちが心に溜まっていきました。

で、ひななりに考えてみました。
ちょっと前に「バリ島へ観光に行った日本人ツアー客が現地の刺身を食べて食中毒に」って事件があったのだが、
アレだってよく調べてみたら何ともおそまつな結果だったワケよ。
無菌状態を目標にした社会に住んでいる日本人が、弱い菌にやられて食中毒状態なんだもの。
もちろん他の国の観光客や現地の人とかは同じ刺身を食っても異常なし。
テレビで某研究者が言ってたよ。

「こんな無菌環境が進めば、日本人はビフィズス菌でも体を壊すようになりますね」って。

そりゃぁ、キレイな環境に住みたいよ。
大腸菌がウヨウヨしてるようなトイレなんて使いたくないし、何ヶ月も掃除してないような台所で料理したくないよ。
だけど、やり過ぎはいけないよな。
確かにイロイロな有害環境があるよ。
でもさ、『サンマと殿様』じゃないケド、悪い(と思われるモノ)を全部取っ払った社会の中で、人は何を基準に善悪を知るんだろう。
毒気の抜かれた社会で、毒気にあたった人間はどうなるんだろう?
何かのせいにして、それを排除する…これが解決法なのかな。
…何かが違う。

今回の法案には「性的描写や性的表現」とかも規制対象としているらしいケド、ちょっと待てってカンジ。
こないだダンナと見た「アンドリュー」って映画があるんだけど、すごい感動したね。
この映画には「性的描写や表現」って、すごく大きな意味を持っていた。
アンドロイドのアンドリューが人間の女性を好きになって、夫婦になって、愛したその女性を人間として抱きたくて、ち〇こを使えるように改造するシーンがあるんだけど、
愛する人のために何とかして人間になろうというアンドリューの愛の深さに、もう涙なくしては見られなかったよ。
もしもそれがなかったら、単に「人間になりたかったおちゃめなアンドロイドがいた」で終わっちゃうんだよね。
「性的描写や性的表現」って、そんなに規制しなきゃイケナイ悪いモノなのかな?
そういった描写を通じて、「人として伝えたい事」もあると思う。

それから、「暴力性のある発言や映像等」も規制対象らしいケド、ヘンな話だよね。
もう、「プライベート・ライアン」なんて見れないね。
どうやら「ドラゴンボール」とか「キン肉マン」とかもダメらしいし。
そりゃぁ、友達に向かって「か〜め〜は〜め〜波ぁ〜ッ!」とかやってみたり、アヤシイ技をかけてみたりするよ。
だけどそれで痛い思いをしたりさせたりして「限度」を知ったりするじゃない。
ある意味「社会における教育の場」だと思うよ。

さて、ここで問題。

「じゃぁ、規制はイケナイ事ですか?」

ぶっちゃけて言うと、あまり良くない事です。

「いい物も悪い物も、それに触れるという事は経験であり、立派に知識といえるものだ。
問題は自分が取り入れた知識をどう判断して行動するかだと思う。
引き金を引かせないように規制するより、引き金を引かせるだけの爆弾を持たせないようにする対応の方が重要なんじゃないかな」←ダンナの意見。


見たい、知りたいっていうのは、誰にでもある欲求。
その欲求を押さえつけるような今回の法案は、根本的な部分が間違っていると思う。
むしろ青少年を取り巻く環境を整えるのが目的なんだったら、誰かが「監督」していればいいと思うのよ。
家庭や学校で子供と一緒に規制対象なるものを見て、
「自分やお父さんやお母さんがこんな事されたらイヤだねぇ」とか、
「こんな事すると、危ないんだよ。ヘタすると死んじゃうからね」とか、そういうふうに教育していく事で、かなり環境が整うんじゃないかな。

家庭内や学校でしなければいけない道徳教育を
国をあげて無差別にやろうってんだから、
お話になりません(笑)。


青少年を守るのも大切だけれど、青少年を監督できる大人を育てる事も大事だとも思う。

…ひなはあまり文章を書くのが得意な方ではないです。
でも、このテキストを読んで下さった方々が、こういった法案があり、それによって生じる社会の矛盾やこれからの日本や日本人の方向性を考えて頂ければ幸いに思います。