第2章:強制入院



母子手帳も入手し、だんだんと人間らしくなっていくであろう腹の我が子に思いをはせながら
定期健診もちょっぴり楽しみになっていた頃だった。

「この前やった血液検査でね、ちょっとマズイ事があって」
のっけから医者に宣告された。
「何か変な病でも見つかっちゃいました?」
「いやー、実は血糖がめちゃくちゃ高いんだけど・・・、糖尿病とか言われてた?」
「はいー?! そんな診断、受けた事ないです!」
フルフルしながら大否定のひな。
確かにかなーり肥満気味だけど、尿から糖も蛋白も出た事なぞない。
コレステロールだって血圧だって低いぐらいだ。
昔、健康診断を受けた時に医者から
『これだけ体格がいいと、何か病気があってもいいぐらいなんだけどなぁ』
と微妙な事を言われたことすらある。
そんな事を思っていると、医者は検査結果の用紙を見ながら話を続けた。
「じゃぁ、たぶん妊娠糖尿だねぇ」
「そんなのあるんですか?」
「うん。妊娠すると、お腹の子に栄養を届けるために一時的にインシュリンの分泌量が減っちゃうんだよね。
だから、人によっては糖尿病みたいになっちゃう場合もあるんだわ」
そんな仕組みがあるのか。恐るべし。
「どうしたらいいですか?」
「とりあえず、C病院を紹介するから、そっちで全身管理しながらの出産をしてほしいんだけど・・・」
「えッ?ここの病院じゃ駄目なんですか?! 」
紹介すると言われたC病院は、自宅からはそれほど遠くはないのだが、総合病院なのでいつも混んでいて、
微妙に患者に対する態度が冷たいような感じもあって、あまりいい印象は持っていなかった。
「うーん・・・、ウチで産みたいって言ってくれるのは嬉しいんだけど、確か、腰も痛めてたでしょう?
何か緊急な事態があった場合に、大きい病院の方が対応も早いし、安心だと思うんだよね」
言われてみれば、確かに医者の言うとおりだ。
ここは産婦人科病院だから、妊娠以外の何かが起きたら対応するのも大変だもんな。
ひなは、仕方なくC病院へ行く事を承諾した。
紹介状をもらい帰る途中で、悲しくて涙が出てきた。
ひなは、この産婦人科病院が大好きだった。
数十年前に自分が産まれたこの病院で、信頼できる病院スタッフに見守られて我が子を産むという夢を
ずっと持っていたのだ。
馬鹿みたいだと思うかもしれないが、かなり幼い頃からそんな夢を見ていたのだ。
なのに、糖が出てしまった事で全てが台無しになってしまった。
悔しくて、悲しくて仕方がなかった。
普段から糖尿だったのなら諦めもつくだろうが、妊娠をきっかけに糖尿とは諦めきれない。
それでも、ひなはC病院へ行くしかないのだ。

そんな風にガックリきていたせいかどうかは分からないが、C病院へ行く予定だった前夜に激しい腹の痛みで飛び起きた。
痛みのくる方向からいって、胃腸ではなく、子宮だ。
しばらくは我慢していたが、身動きが取れなくなるほどに痛みが増してきた。
「ダンナさ〜〜〜んっ!もうダメぽ〜〜〜〜!」
泣きながらダンナを呼ぶひな。
悲痛な叫びが届いたようで、寝起きとパニックでヨロヨロしながらダンナが駆けつけた。
そして書いてもらった紹介状を握り締め、C病院へ連れて行ってくれた。

問診と内診を受け、特に異常もないので様子をみるように言われた。
それでも一応、通常の診察が始まったら診療を受けるようにという指示が出された。
すでに時間は朝の5時を回っていた。
「家に帰るのが大変だったら、今日の診察が始まるまでここで休んでいっていいのよ?」
ひなの乗った車椅子を押してくれていた看護士さんが声をかけてくれた。
申し出はありがたかったが、ひなは家に帰りたかった。
ほんのわずかな時間だけだとしても、慣れた場所に身を置いていたかった。

結局、帰宅して3時間ぐらい睡眠をとってから診察を受けるために再びC病院へ向かった。
産婦人科での診療では問題はなかった。
そして、糖の問題があるのでそのまま内科へと回された。
内科で採血・採尿を済ませ、診察室へ通された。
「検査の結果を見ると、前から糖尿だったんじゃないね。たぶん、妊娠糖尿病だと思うよ」
担当のY先生がのんびりとした口調で告げた。
「ただ、赤ちゃんが心配だから、なるべく早く入院してほしいんだけれども・・・」
「入院、ですか?! 」
予想外の言葉に激しくうろたえるひな。
とりあえず、来週なら給料日だからお金の心配もないだろうと思い
「えっと、じゃぁ、来週あたり・・・とか?」
とおそるおそる言ってみると
「できれば今日にでも入院してほしいぐらいなんだけどねぇ」
やっぱりのんびりとした口調で、そのくせ衝撃的な発言をした。
「え・・・?そんなにヤバイ状況なんですか?」
「うん、妊娠初期の頃に血糖値が高いと、赤ちゃんが未熟児になったり、逆に巨大児になったりっていう
リスクがあるから。だから、なるべく早く入院して血糖値を正常値にしないとね」
まさか、そんな思いもよらないリスクがあろうとは・・・。
さすがにひなも事の重大さに気づき、なるべく早く入院できるようにダンナと相談すると言って
病院をあとにした。

ちょうどお昼ごはんを食べに自宅に戻ってきたダンナに事情を説明し、どうしたらいいかたずねてみた。
ダンナは、そういう事情ならすぐに入院しろと言った。
幸いにも翌日はダンナの仕事が休みだったので、入院が大変とはならなかった。
ただ、せっかくの休みなのに入院なんて事になってしまって、ダンナに申し訳ない気持ちで一杯だった。

翌日、ひなは入院した。
一日中ダンナが一緒にいてくれたが、さすがに消灯時刻を過ぎても一緒にいるわけにはいかない。
病院の玄関でダンナを見送っているうちに、だんだん寂しくなってしまった。
そんな事はないと分かっているのだが、もう二度とダンナに会えないんじゃないかとか思ってしまって
待合室の隅っこで声を押し殺して、ひなは泣いた。
不安と心配と寂しさと悔しさと、いろんな気持ちがごちゃまぜになって、自分ではどうすることもできなかった。
そんな気持ちを察してくれていたのか、ダンナは毎日、お昼休みと仕事が終わってからの一日二回、病室まで会いに来てくれた。
たまに病院の許可をもらって、ダンナの仕事が終わった後に一緒に家に帰ってお風呂に入ったりもした。
けれど、やっぱりダンナを見送る時はいつも辛くて、必ずこっそりと泣いていた。

しかし数日後、血糖値はあっという間に正常値にまで戻り、結局のところ10日で退院できることになった。
高血糖値の原因は、プチつわりでゲロゲロしてた時に欲望のままに飲みまくったサイダーであろうと推測された。
なぜなら、病院の食事は、通常に家で摂っていた食事よりもはるかに栄養価の高いものであり、
どう頑張っても自宅の食事では血糖値があがるとは思えなかったからだ。
実際に、退院した後も飲み物を全て水とお茶に代えてからは血糖値は著しく上昇することはなくなった。
サイダー、恐るべし。
それでも、血糖値のチェックは大事だという事で、産婦人科の検診とセットで内科も受診するハメになってしまったのだった。
しかも、内科の受診では毎回採血をするという恐怖のオプションまでついてくるとは、思いもよらなかったのだった。


サイダーをやめて血糖値が正常値に戻って一安心。
しかし、これから先も油断はできない。
血糖管理と体重管理に取り組まなければならないのだ。
次回「出産への道」は「マタニティブルー」をお送りします。

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